wunder

カンカク置き場

深く潜ったら息継ぎをしましょう

 ここ数週間は時間の許す限り、息継ぎをするように本を読み、美術館やギャラリーに行った。こういう経験を繰り返しながら、できるだけ自分の感覚を再確認するようにしている。

 

例えば、東京都写真美術館では「コミュニケーションと孤独」という企画展示があった。石内都氏の作品「Mothers」、ホンマタカシ氏のタイトル通りの作品「東京の子ども」、郡山総一郎氏の孤独死をした人の部屋の写真「Apartment in Tokyo」amd moreてんこ盛り。

 

「Mothers」の老いた肌の皺、服の皺のひとつひとつからくる感覚。

「東京の子ども」の、お人形さんのように様々な意味を着せられた子どもが反射的に見せてくる、私たちは今ここにいるんだという確かさ。

「Apartment in Tokyo」の、厚みのある生活感がいきなりそのままこちらにポンと投げ出されて、一瞬こちらがうろたえそうになったり、他人の家だけれどその生活感から来る不思議な安心感などなど。

 

これらは、私が仕事や生活などを通して感じてきたことを基点にして観ているに過ぎないのだけれど、だからこそ、そういうものとして響いてくるものでした。他の人や環境の思惑は脇に置いといて。

 

また、つい最近はいつものようにフラフラと何か面白いものはないかと求めに彷徨っていたら、LOKO galleryさんでJuuso Noronkoski(ユーソ・ノロンコスキー)さんの個展「This Place is Nowhere」というのを開催していて、とっても楽しかった。

 

一番初めに気になったのは展示開始日前後に訪れた際、羽がクルクル回っているプロジェクションが目に飛び込んできたから。その時は閉店ぎりぎりだったので観れず。

 

それから幾日か過ぎて、展示スペースに踏み込み、一階の中央に天体望遠鏡のように置かれている大きな写真を丸めて円錐のように丸めた作品を観て、一目で空のグラデーションと螺旋に伸びる紙のライン、奥に見えるコンクリートが月のように見えるその仕掛けに魅かれた。

 

壁面には、木を削った作者とそのたくさんの木くずを映した写真、書籍の南十字星スマホのライトでフラッシュを焚きながら撮った写真などが展示されていた。

 

そして展示室の隅っこにポツンと置かれた、光の屈折率を利用して横から観ると観えないけど、視点を合わせると、とあるものが見えてくる作品、人間はこういうポツネンとした存在につい目を奪われてしまう、してやられた感がある。

 

そして、それらとセットで置かれていた文章がとっても豊かな詩に溢れていて、素敵だ。作者は、どこまでも真っ直ぐに見ること、見返すこと、それらの視線をずらすことを考えている人だった。

 

とってもピュアな雰囲気の人なのだろう。

フィンランドの人なようで、ヘルシンキの写真学校を出たらしいのだけれど、世の中にこんな素敵な人がいるんだということそのものが衝撃的だった。

 

どんな人か会ってみたいなと思っていたら、つい先週まで日本にいたそうで……話してみたい。