wunder

カンカク置き場

「伝えるべきもの、守るべきもの」

寄り道ついでに富士フィルムスクエアで芳賀日出男さんの写真展「伝えるべきもの、守るべきもの」があったので観に行きました。

 

六本木はなかなか厳めしいとこなので僕みたいな田舎っぺはほぼいったことがないんですが、何気に出雲大社の分社があったりして侮れません。で、妙に気になってトークイベントに行ってみました。

 

イベントでは、普段入れないようなところに入って写真を撮るために、何度も何度も訪れて信頼関係を気付き、村人の許しを得てようやく撮影できた、ということを言っていたのですが、

 

ある種、日出男さん自身が村人にとっての「マレビト」だったのではないのか、ということをポンと思いつきました。これが僕が直接会って感じた印象です。ジプシーとかそんな感じですかね。

 

質問の時間が設けられたので、せっかくだから聞いてみました。

 

―どう行った経緯でそれぞれの場所に行くことになったのですか?

が、日出男さんは耳が遠くなっており、

なおかつ僕も少しおかしなテンションだったせいか、繰り返しているうちに段々聞き方が、

―なんで行ったんですか!?

みたいな質問になっていました。

 

それに対する日出男さんの返答↓

「そりゃあね、祭りが好きだからですよ!!」

もうね、この時の決定的な何かに満ちた顔が忘れられません。

ばぁーっ!と明るくなったんですよ。

この一言と表情に会いに来たんだなーって思いました。

御年96or97です。100まで生きるって会場で宣言してました。

 

ちなみにこの日の挨拶のツカミは「大分の神楽で神さまやってました」です。

 

今日はこの辺で。

深く潜ったら息継ぎをしましょう

 ここ数週間は時間の許す限り、息継ぎをするように本を読み、美術館やギャラリーに行った。こういう経験を繰り返しながら、できるだけ自分の感覚を再確認するようにしている。

 

例えば、東京都写真美術館では「コミュニケーションと孤独」という企画展示があった。石内都氏の作品「Mothers」、ホンマタカシ氏のタイトル通りの作品「東京の子ども」、郡山総一郎氏の孤独死をした人の部屋の写真「Apartment in Tokyo」amd moreてんこ盛り。

 

「Mothers」の老いた肌の皺、服の皺のひとつひとつからくる感覚。

「東京の子ども」の、お人形さんのように様々な意味を着せられた子どもが反射的に見せてくる、私たちは今ここにいるんだという確かさ。

「Apartment in Tokyo」の、厚みのある生活感がいきなりそのままこちらにポンと投げ出されて、一瞬こちらがうろたえそうになったり、他人の家だけれどその生活感から来る不思議な安心感などなど。

 

これらは、私が仕事や生活などを通して感じてきたことを基点にして観ているに過ぎないのだけれど、だからこそ、そういうものとして響いてくるものでした。他の人や環境の思惑は脇に置いといて。

 

また、つい最近はいつものようにフラフラと何か面白いものはないかと求めに彷徨っていたら、LOKO galleryさんでJuuso Noronkoski(ユーソ・ノロンコスキー)さんの個展「This Place is Nowhere」というのを開催していて、とっても楽しかった。

 

一番初めに気になったのは展示開始日前後に訪れた際、羽がクルクル回っているプロジェクションが目に飛び込んできたから。その時は閉店ぎりぎりだったので観れず。

 

それから幾日か過ぎて、展示スペースに踏み込み、一階の中央に天体望遠鏡のように置かれている大きな写真を丸めて円錐のように丸めた作品を観て、一目で空のグラデーションと螺旋に伸びる紙のライン、奥に見えるコンクリートが月のように見えるその仕掛けに魅かれた。

 

壁面には、木を削った作者とそのたくさんの木くずを映した写真、書籍の南十字星スマホのライトでフラッシュを焚きながら撮った写真などが展示されていた。

 

そして展示室の隅っこにポツンと置かれた、光の屈折率を利用して横から観ると観えないけど、視点を合わせると、とあるものが見えてくる作品、人間はこういうポツネンとした存在につい目を奪われてしまう、してやられた感がある。

 

そして、それらとセットで置かれていた文章がとっても豊かな詩に溢れていて、素敵だ。作者は、どこまでも真っ直ぐに見ること、見返すこと、それらの視線をずらすことを考えている人だった。

 

とってもピュアな雰囲気の人なのだろう。

フィンランドの人なようで、ヘルシンキの写真学校を出たらしいのだけれど、世の中にこんな素敵な人がいるんだということそのものが衝撃的だった。

 

どんな人か会ってみたいなと思っていたら、つい先週まで日本にいたそうで……話してみたい。

其の1 「小説の家」を読む

こんにちは。

 

何となく外に出れそうな気分になったので、ぷらぷら歩いてお茶しに行きました。

 

で、新潮社から出ている「小説の家」という小説のアンソロジーが置いてあったのでパラパラ斜め読み。

 

円城塔氏の作品がありました。

でも僕は今まで彼の作品が苦手だったんです、だってわけ分かんない数式が出てくるんだってばよ。あと表現として一風変わったことしてるから読みにくいこと山の如し。

眼にクルんだってばよ。

 

そんなこんなで避けてはいたのですが、好きなエピソードが一つあります。

 

それは、同じ経緯でデビューし僅か二年で逝去された伊藤計劃氏の遺作を引き継いで「屍者の帝国」として刊行させたこと。原作まだ読んでないけど映像は観て、SFスチームパンク大英帝国ど真ん中な世界観が好きでした。死んだ友人の遺志を引き継いで「21gの魂の証明をする」なんていう設定あたりは、実際どうかはさておいて、作家とキャラのイメージがダブって見てしまいました。

 

そういう周辺情報は好きだけど、作風が新時代過ぎて息切れして挫折した身としては、うーむと悩ましい気持ちになりながらアンソロジー読みました。

最初は案の定「手帳」一個のために宇宙とか出てくるしどないなっとんねん、この人の脳みそは!これだから理系は!とかウダウダ思いながらも、妙にスラスラ読めるなーとなりまして…

なんつーか、結論は一つしか思い浮かびません。

 

この幸せ者め!!!笑

ほんと意外過ぎて別の意味で驚きました、さすが作家さんはやることが違いますね。

 

2016年の刊行だったはずなんで、確か時期的にはその数年前なんすよねー。

ええ、まぁ何の話かはせっかくなんで読んでみればいいと思います。

 

まさかアンソロジーが円城塔作品の入口になるとは思いもしなかったなー。